高価だった化粧品

高価だった化粧品

kesyouhin

化粧品をつくる商人が成長したのもルネッサンス時代のイタリアが早かった。

彼らのつくっていた化粧品はヨーロッパではデラックス品で、ある新婚婦人などはそれらの化粧品をまとめて買ったため、持参金がなくなってしまった、という。

初期には、東方から回教徒の女性が使っていた化粧品が輸入されていたが、それの需要が高まるにつれ、ヴェニスやジェノバの薬剤師や香料商は、自分で原料を取り寄せてそれをつくるようになり、ヴェニスのジァコーモ・デルラ・フェニーチェ(フェニーチェは不死鳥という意味)や、ユリの花を標章にしていた雑貨の大商人ムスキァーロといった商人が、その方面で有名になった。

ただし、その頃ではデラックスだった化粧品も、その正体は大したものではなく、お祭りの時など時間が長びくと、オシロイやベニが顔の上でとけて流れだしたし、暑さのはげしい時にも、おなじような化粧くずれが起こった。

最初は、女性が化粧をしたのはイタリアだけの風習だったので、他国からこの国に来た者には、それが奇妙に見えた。

フランスのグランジェ・ド・リヴェルデの『旅日記』に「ヴェニスの婦人は化粧品を使って顔を白くみせている」と書かれているし、おなじくヴェニスの政治や軍事を調べたフランスのデ・ラ・エイエは「ヴェニスの女たちは、ひそかに彼女らの胸や顔に赤いものを塗っている」と珍しげに伝えているが、ドイツのアルノルト・デ・ハルフは一四九七年に「ヴェニスの女たちの使っている化粧品は長持ちがしないので、夕方になると顔が青白くなり、もの凄い顔つきになる」と、やや皮肉に伝えている。

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