赤い化粧

赤い化粧

kesyouhin

ローマの女性の化粧はギリシアの女性の化粧と大体おなじで、目とマユは黒く塗り、顔には鉛白を、頬には紅をつけた。

ローマ時代には化粧という意味が「美粧術(アルス・オルナトリクス)」と「化粧術(アルス・フカトリクス)」の二つに分かれていた。

前者は装飾(オルナーレ)が語源で、広い意味で美しさを保つ術を意味し、後者のフカトリクスは化粧品(フークス)が語源で、鉛白や紅で醜いところをかくす術で、ちょうど漢字の「化粧」とおなじ意味であった。

赤く塗った頬はよく目立つので、詩人のガルス(西暦一世紀)は、「顔に鉛白やベニを塗ることと、香料を使うことが婦人の特権となり、彼女らがベニの使用によって見ちがえるようになった」と書いた。

また上記のオーヴィディウスは、「美貌は手入れによってのみ招くことができ、捨てておくと死んでしまう」という警句を吐いたが、また「どんな女性でも、人工的な方法で、彼女の容貌に欠けたものが得られる」と、女性たちを励ました。

「女性の健康な血液が頬に色をつけなかったら、ベニを用いるとよい。もしマユが古くさくなったら、フレッシュなのをその場所にのり付けしたらいい。自然のままの顔に美しさがなくなりだしたら、若干のつけホクロ(黒い布の小片などを顔にはること、十七世紀に大流行になった)を用いると、明るい神秘的な顔つきになる。もし両眼から生まれながらの輝きと元気が消えたら、灰色のかげをつけるか、キドヌスの清らかな流れのほとりに咲いたサフランで筋を引くといい」と、オーヴィディウスは書いているが、このような化粧法から想像した西暦一世紀頃のローマの流行的な女性の姿は背がたかく、茶または黒い髪より金髪であるほうがよく、頬はあかくかがやき、眼には黒い粉(コール)で影をつけるか、サフランで黄色い筋をつけ、まつげには筆で色がぬられていた。

また一つか二つのつけほくろが頬か首か、ときには大胆に、あらわな腕や肩につけられた、というのが大変に美しい女性だったということになるが、本当は彼女らの化粧は少々あくどい感じであったらしい。

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