西洋の化粧文化史/ローマ

西洋の化粧文化史/ローマ

kesyouhin

ローマの建国は伝説によると一般に西暦前七五三年とみられていて、同五二九年までは王朝だったが、のち共和制となり、同三世紀から周辺の国々を征服、同一四四年にギリシアを属領化し、それ以来ギリシア文化をとり入れ、同四三年にカエサル(英語ではシーザー)が終身独裁者となり、皇帝の称号を用い、同二七年から帝政(ローマ帝国)になり、西暦四七六年に西ローマ帝国が滅亡し、一四五三年に東ローマ帝国が消え去ったというのが、その興亡史のあらましである。

ひと口にローマといっても、このように歴史が長いが、この国の女性がおしゃれになったのはローマがギリシアの値民地だった南イタリアのマグナ・グラエキアを征服(西暦前三世紀)し、そこに住んでいたギリシアの女性からそれを見習ったのが始まりだったといわれている。

ローマ人の書いた文献を読むと、西暦前一五0~一00年頃から女性の染髪、仮髪、香料、オシロイとベニ、その他さまざまの美顔料が現われていて、それを風刺することがはじまっている。

それまでのローマ人は質実剛健のために入浴したり、身なりをかざったりしていたが、それが目にみえて過度になりだしたのは西暦前一世紀頃からで、その時代の真面目な詩人・哲学者だったルークレティウスは、娘たちが両親の苦労してつくった金で異国から輸入された宝飾品や化粧品を買いあさり、息子たちは昼間から勝負ごとに興じ、夜は酒宴で底抜け騒ぎをしていると嘆いた。

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