女が自由を獲得した社会では

女が自由を獲得した社会では

kesyouhin

人間、数千年の歴史は、女にさまざまな束縛を課してきた歴史でもあった。

女に自由がない時代の女の美は、逆に、女を縛る力をもっていた。

女の美を、周囲と男がきめたからだ。

化粧や服もクツも髪型も、女を自由に活動的にイキイキとさせるのでなく、女を窒息させ、ゆがめ、痛めつけるほうに働いた。

女は、観賞される人形としての美を手に入れた代わりに、人間的な一切の自由を失ったのだ。

しかも、この力を誇れたのはほんのひとにぎりの女だけで、のこりの多数の女は、彼女の美を支える端女的な役割にまわされていた。

そういった一切が、崩れはじめた。その崩壊はいま、急速に広まりつつある。

長い間目隠しされ、足かせをはめられていた女は、とうとう、自分の目で見、自分の足で歩きはじめた。

おしゃれも、化粧も、ようやく、女自身の手ににぎられようとしている。

それでも、女が手にしたのは、自分のするおしゃれや化粧を、自分で選ぶ権利だけだ。

何がつくられ、何がいつ差し出され、どういう風に知らされるかは、まだ女の手にない。与えられた次元で選びとるだけでなく、何がほしいかという計画立案の次元からスタートしなければなるまい。

女と化粧は、したがって、リンカーンじゃないが、「女の、女による、女のための化粧」という角度で問い直される時代に入ったのである。

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