中世/教会の束縛

中世/教会の束縛

kesyouhin

イギリスを例にあげると、この国へは西暦前一世紀にローマのカエサル(シーザー)が侵入して、化粧や入浴の習慣を持ち込んだが、西暦五世紀にローマ人が引きあげると、文化もいっしょに退潮して、いわゆる中世初期の暗黒時代のカーテンに閉ざされてしまった。

その後西暦700年頃にキリスト教が伝わり、キリスト教では薫香や香油を用いるので、それに関した記録がぼつぼつ現われたが、化粧や化粧品のことはほとんどわからない。

このことは今日のイタリア北部、フランス、ベルギー、オランダ南部に住んでいたゴール族の場合も同じであった。彼らはイギリスと同じ頃にローマのカエサルの侵入をうけるまでは未開人とあまりちがわない生活をしていたが、文化の高いローマ人が侵入すると、じきに化粧することを覚えた。

といってもきわめて素朴なもので、マユにはススを、ダツというサンマに似た魚の油で練ったものを塗り、ビールの泡で顔を洗い、酢でとかした粘土で顔を白くし、両頬には赤い色を塗った。ローマ人は占領地の都市に水道と共同浴場をつくることが習わしだったので、たくさんの住民たちがそこに集まった。

西暦五世紀に北方からサクソン族やフランク族がフランスに侵入して西ローマ帝国が滅亡(476年)、フランク王国がつくられ(486年)、九世紀に王国が分裂、西フランク王国の治下でフランスの民族・文化が形成されていった。

この地域にキリスト教が伝わったのは西暦三世紀以降で、フランク民族はゲルマン民族のなかでもっとも早くキリスト教化し、文化が発達した。

初期のキリスト教の指導者たちは、女性は、肉体的な誘惑の多い、罪悪(キリスト教からみた)の源泉とみなしていたので、女性が入浴したり化粧したりすることを喜ばなかった。

たとえば聖ボニファスは西暦745年にローマ人のはやらせた公衆浴場を「罪悪の温床」だといって禁止し、ローマ人の女性の真似をしてバラ水を使ったり、香りのついたポマードを使うキリスト教徒の女性を「やたらに飾りたてた娼婦だ」といって非難したことが知られている。

キリスト教の支配力が強かったので、化粧はもちろんのこと、衣服やアクセサリーのおしゃれの全般が女性の生活から影を潜め、修道女のような生活が長く続いたが、目立たない形で、密かに化粧が行われていたことは、その時代の民謡や風俗画にしばしば現われている。

もちろんそれが流行という形で表面的に行われたわけではなかったことはいうまでもない。十三世紀のフランスの風刺詩に、小間物屋が顔を白くする胡粉と、頬を赤くする綿布を売っていたことが現われているので、その時代には赤い色をつけた木綿の布で、頬やくちびるをこすって色をつけていたことがわかる。

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