おそろしいオシロイ

おそろしいオシロイ

kesyouhin

鉛のオシロイが文献にあらわれたのは西暦前5世紀ごろのギリシアで、16世紀ごろには水銀を原料にしたものが現われたが、鉛も水銀もおそろしい害毒を人体に与えたにもかかわらず、ほかに適当な原料が知られていなかったので、それの使用が前世紀の後半まで続いた。

今日の化学者によると、鉛は蛋白質を破壊し、沈澱させる原形質的な成分で、たえずそれに触れていると骨のなかにそれがたまって、すぐにはその微候は現われないが、突然に鉛が体液に流れ込んで、鉛毒の症状を表わすといわれている。

中心症状は慢性的で、最初は消化不良、つぎに腕の関節のマヒのような神経系統の不調や、幻覚、噪病、ケイレン、昏睡などの症状に陥る。

鉛白を使ったオシロイは現在は製造が禁止されているが、直接鉛が取扱う業種はもちろん、ペンキ、殺虫剤などには鉛が含まれているので、それの危険なことが強く警告されている。

また水銀の昇華物をもとにしたオシロイは、16世紀の化粧品の処方書に現われているが、これは有毒物だった。

これを顔に用いると皮膚の外皮が剥がれてソバカス、ニキビ、シミ、イボなどの汚れがとれたが、その一方で皮膚におそろしい焼けあとをのこしたので、さらに用いねばならなかったし、顔色が黄色または暗緑色または赤くなり、歯が腐って黒くなった。

そのため老年にならないうちに「サルのような皺だらけの顔」になり、目眩病にかかった家畜のようにブルブルからだを震わせた。

この化粧品はスペインまたはイタリアからフランスに伝わり、さらにヨーロッパの各国に広がった。

フローレンスやジェノバの女性は歯を黒く塗っていたといわれたが、それはこの化粧品のために歯が黒くなったことの現われであった。有毒な化粧品のために死んだ女性もあった。

1760年にイギリスのコヴェントリ伯夫人マリアは、鉛白と砒素をまぜたオシロイで、蒼白い、幽霊のような化粧をしていたため、27歳の若さで死んだと伝えられている。

イタリアの女性たちはこのようなオシロイのおそろしさを知っていたので、それを使ったのは日中だけで、夜になるとオシロイを落とし、小麦粉をあたためたり、ぬらしたりしたものを指先で顔に塗って、皮膚をやわらげ、魅力を保たせることに骨を折った。

これはローマ時代にネロ皇帝の妻ポッパエアが考えだしたといわれるビューティー・マスクの復活であった。

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