おしゃれの行方

おしゃれの行方

kesyouhin

女の社会的地位が広がり、以前とちがって、多くの女が男に依存しなくて生きられる時代がやってきた。

自立できる女は、弱く美しい性として自分を男に高く売りつける必要がなくなった。

自立できる女は同時に、婦人部屋で無為に過ですのでなく一人前の社会人として朝から夕方まで活動する。

軽装でビジネスや楽しみの旅行にも出かける。その行先は街であったり、リゾートであったり、砂漠や大洋であったりするだろう。

これは女の行動の型の男性化である。同時に、男性の行動も、化粧や買物m家事をすることなどによって女性化している。

現代は、男女両性の行動がたがいに歩み寄る、中性化の時代とよぶことができる。

さて、女性の中性化は、さきゆき、化粧を消滅させるだろうか?それとも、経済手段をにぎった女の増加は、化粧行動をもっと積極的にし、ふやすのだろうか?

これは、化粧品産業や広告産業にとっての関心の的だ。

女性だけでなく、女性化した男性の将来の見通しは難しい。

女がこれまでの作られた女らしさを否定し、あるがままの女、自然な女として生きるようになったら、化粧をやめるだろうか。

私は、化粧の方法に変化は見られても、化粧をまったくしなくなるとは思わない。化粧を捨て去ることが独立的な女のしるしと考えられたこともあったし、実際、リブの運動に参加して、化粧をやめてしまった女の例もある。

しかし、自分の好みの自然な化粧を、女が否定するときはこないだろう。

女性の間では、化粧はなくならないし、むしろ、男の化粧は、自然な範囲ではふえると思われる。

人問にとって、美への欲求はなくならないし、人生で遊びがより大きな意味をもってくれば、遊びとしての化粧もまた求められるからだ。

女が社会的に活動するのが一般的になれば、化粧の方法が変れることは予測されるし、その時間と活動の場所によって、化粧の程度が変わることも考えられる。

つまり、昼間の化粧はうすく自然で、しかも長持ちするものになり、手間のかかる人工的な化粧は、遊びの場の化粧として夜へ移行するだろう。

女の生活の変化から、いまよりいっそう、肌にもよく、長持ちして、活動にも不便でなく、持ちはこびにもラクな化粧方法と化粧品が発達する。

回時に、遊びの場のために、いまよりいっそうエクセントリックで贅沢な品もつくられるだろう。

女がいつ、どんな化粧をするかは、個人の好みで自由に収拾選択されるようになる。いまの化粧は、個性的といっていながら、実はかなりユニフォーム的である。

さらに予想されることは、化粧の年齢による開きが減ることだ。そういった傾向がしだいに均質化して、ヤングはもう少し自然な化粧をするようになるだろうし、オールドはもう少し美を追求するようになるのではないか。

「かけがえのない自分」は、人まねの厚化粧からは生まれないことを知らなければ。それには、マスメデでアの過剰な広告や、女らしさの押しつけが監視されなければならない。

ファッションの権威、ココ・シャネルはおしゃれに占める無頓着の大切さを説いている。

この点で、現代の目本の女は、先進国といわれる国に住みながら、まだまだ世界には遅れていると思う。

江戸時代の「粋」には、巧みな無頓着さの演出があったのに。

たぶん女らしさや適齢期に結婚するという日本特有の圧力がなくなれば、若い女はもう少し主体的に化粧やおしゃれをし、無頓着の意味にも気づくようになるのじゃないか。

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